志らくのピンPARTⅢ/内幸町ホール/2007/3/13
「文七元結」です。今夜はこの「文七元結」についてぜひ書かねばなりません。すばらしい。志らくの軽さが最高によい形で出たと思います。
《演目》
○浮世根問 志ら乃
○洒落小町 志らく
○三軒長屋 志らく
~中入り~
○目薬・義眼バージョン 志らく
○文七元結 志らく
まず何がよいといって、人物設定の大変クリアなところ。佐野槌のおかみが特段によい。彼女は人物です。話は博打にかまけて仕事をしない左官の長兵衛の娘お久が、吉原に自ら身を売るところから始まるわけですが、彼女を請け負ったおかみの度量がとても大きいので、まず大晦日までお久の身が安泰であることに安心できる。つまり長兵衛が受け取った五十両は、お久の身売りの金ではなく、彼女をかたにとった借金である。安泰だが厳しいお金です。
そして吾妻橋の場面。長兵衛が江戸っ子の見得で、掛取りの五十両をなくして身投げしようとする文七に懐の五十両をくれてやるという「見せ場」なわけですが、ここがいいんですよ。「見せ場」にしない。あたりを震撼とさせたりしない。長兵衛と文七のやりとりはむしろ喜劇で、長兵衛は何とかしてやりたいが、いきなり五十両を渡さない。その金の値切り方のいいこと。しかし長兵衛のそそっかしくて何とも説明のつかない江戸っ子なところが存分に出る。
夫婦で着物が一枚しかないような、それで娘が吉原に身を投じるような話であるのに、陰惨さはひとつもなくて、何でまたかっきり五十両なんだというようなご都合主義の展開を上手にすくいながら、無理やりな人情はカットしています。しかしながら、カラっとした人情のおかしさが聞き手を幸せにする。
地口で締めずに、「吾妻橋で鐘を放ったのが最後の博打だった」という新たな下げは必ずしも成功していませんが、この「文七元結」は、彼の演目では「富久」に匹敵するものでした。久々に、おなかに電球のともる落語を聴きました。この落語は志らくでしかできないと思います。
もうひとつ、「目薬・義眼バージョン」は全編何のストーリーもない。実にくだらない。この目茶々々さもたまらない。
(texted by brary)


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Posted by: Eagles | September 22, 2007 at 03:36 AM