ここに本の話題を書くのは本当にひさしぶりです。
それでも、この写真集は特別です。わたしがmasaさんこと村田賢比古さんのKai-Wai散策に度々お邪魔するようになったのは、ここを始めてまだ間もないころでした。
Kai-Wai散策の魅力については、実際にご覧いただけばおわかりのとおりです。ユーモアにあふれたまなざしと文章にはmasaさんのお人柄が現われています。けれども、masaさんの眼と足は決して甘くない。町を歩き、みつめるということは、実は大変きびしいことだとわたしは思っています。物見遊山ででかけた者に対して、風景はこころを閉ざします。
わたしにはそれだけの勇気がなくて、ただ繰言をのべているだけですが、masaさんは風景の中にあるすべてのもの、建築や小さな植木鉢や、自転車や線路、そしてそこにいる人にきちんと対峙なさるのです。そこには、清潔な敬意が感じられて、わたしはいつもmasaさんからそれを分けていただいているのです。
しかし、わたしは何にもわかっていなかったのかもしれません。
写真集をおつくりになっていらっしゃるご様子は、なんとなく感じていたのですが、masaさんがこよなく愛していらっしゃる京島のLOVE GARDENさんでこの写真集を手にしたとき、masaさんがどれほどの覚悟をもって東京の街を歩き、写真を撮っていらっしゃるのかを改めて思い知ることになったからです。
『時差ボケ東京』に写っているのは時間です。Kai-Wai散策が幾多の街歩きブログと決定的に違うのは―写真のクオリティはいうまでもありませんが―時間でした。それは、懐古ではありません。同じ場所を繰り返し訪れることによって、masaさんは風景の中に時間が生きていることをご存じでした。それは「定点観測」でもない。今、この瞬間も風景は生きているのです。
ステレオタイプになってゆく街から遠ざかってゆこうとしていたわたしは愚かでした。
この写真集に移っている場所そのものを、わたしは何度も「見かけて」いたのに、見ていませんでした。ここでもわたしは繰言をのべていたにすぎないのでした。東京は、こんな街だったのに。
ご近所ブロガーのみなさんが、次々とmasaさんの写真集を紹介していらっしゃるのを知りながら、今日まで拝見するのをとどめていました。自分ができるせめてものこととして。
そして「勇気を出して」このエントリーを書きました。むろん、まったく充分ではありません。masaさんのような覚悟をもって街を生きる自身もありません。それでも、明日から見る風景は、すこし違っているような気がします。そのことを早く確かめたくて、愛用するみどり色の自転車に、こんなふうに風景の時間のなかを走りたいかどうかを、尋ねてみずにはいられないのです。(texted by brary)
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